まず、上の動画は、白人警官に(結果的に)殺された無抵抗の黒人ジョージ・フロイドさんの死を悼み、警察の非人道的人種差別行為を非難するプロテストたちに対し、片膝を地面につけ、またはプロテストたちのサイドに回った警官たちの様子をダイジェストで流しているビデオです。
この動画の詳しい英語解説は The Washington Post のリンクをご覧ください。
そしてこの一連の事件の発端と概要は私の数日前のブログをご覧ください。
人間誰でも善と悪の両方を持っている
これはもう説明の必要がないと思います。私も、これを読んでいるあなたも、牧師でも大統領でも王様でも、人間であれば善と悪の両方を持っています。生まれた環境や教育、経験、または血筋などから善と悪の割合のバランスが変わってくると思います。でも普通の人間なら善が70〜95%で残りが悪の部分なのではないでしょうか?
良い人間
今回の事件に関連して言うと、良い人間あるいは良心を持った人間、あるいはまともな人間は、
1)被害者のジョージ・フロイドさんとその家族
2)被害者の死に心を痛めた人たち
3)多くの警官やナショナルガードの人たち
4)この一連の事件を不安とともにTVやソーシャルメディアで見ている普通の市民
5)市長や州知事など地域を統制している人たち
悪い人間
1)フロイドさんを死に至らしめた四名の警察官
2)警察に対する憤りがエスカレートし暴力的になって物を破壊したり放火したり人に暴力を振い出したプロテスト
3)暴力的になったプロテストに催涙ガス銃を発砲したり更に暴力行使する一部の警官やナショナルガードたち
4)出来る限り悲惨で悪いところばかりを視聴者に見せるメディア
5)火事場泥棒〜混乱のどさくさ紛れにデパートやお店、ブティック、カーディーラーなどに強盗に入った人達
善悪の境目
根本的な話になってしまいますが、人間の中に潜んでいる前と悪は表裏一体で、良い人間が悪い人間に変わるのに1秒もかからないこともあるし、その反対もあります。
善良な人間だったのに、ある日愛する人や家族が殺されて復讐心から悪い人間に変わって行った、と言う映画は何百とあります。
今回のプロテストのほとんどは、自分の友達でも家族でも知り合いでもないジョージ・フロイドという黒人男性が亡くなったことを”悲しむ”感情よりも警官や社会のシステムに対する”怒り”の方が大きい筈です。怒りというのはネガティブだけどめちゃくちゃ強いパワーを持っています。1人の怒りでは(復讐映画でもなければ)何も動かないかもしれないけど、100人の怒りは”力”です。そして若い人たちは怒りという感情に加え、アドレナリンなどのホルモン分泌が盛んなので肉体的に”怒りの感情を行動に走らせる”ことになります。自分の生活に不満を持っていたり、コロナの影響で仕事をクビになったりして苛立っていた若者は、プロテストのデモ行進から枠が外れ、パトカーに火炎瓶を投げつけたり、警官に殴りかかったり、果ては”火事場泥棒”を見て「俺も(プロテストのついでに)なんか盗んでやろう」と強盗の仲間になってしまう人もいたことでしょう。
反対に、怒りの感情を持ってプロテストのデモ行進に参加人たちは、行進を食い止めるのと統制をする警察官たちが膝をついてプロテストの意思に賛同し、リスペクトし、プロテストたちに「私たち警察官も君たちと同じように今回の事件を痛ましく思っている」というゼスチャーを見せたら、プロテストたちは(上の動画でも)「サンキュー(私たちと気持ちを同じくしてくれて)!」と警察官に言い、警察官と抱き合ったり拳を突き合わせたり、肩を組んだり拍手したり、喜びの歓声をあげたりしました。
上の動画は、アメリカ中の警察官と一般市民が理解し合ったホッとする映像です。ある警察官たちは床に膝をつき、ある警察官はプロテストと一緒にデモに参加し、ある警察官は、でもの群衆に向かって「我々警察官も君たちと同じ気持ちである。君たち市民のことを本気で考えている、差別などしないまともな警官たちがほとんどなのだということをどうか理解して欲しい。私たちもフロイドさんの死に心を痛めている、君たちと同じ市民の1人でもあるのだ」と訴えます。
日本もアメリカも、メディアやインターネットでは、より暴力的、残酷で酷く悲しい場面を出した方が視聴率が上がるため、どうしても悲惨な場面ばかりを見せられがちです。でも、ほとんどの市民は善良で、ほとんどの警察官は市民の安全や平和のために働いているのです。
上のような動画をもっと様々なメディアで見れると良いのですが。