アイボーは天国へ行き人生再スタート: ピックルボール124

アイボーは3度の食事よりもウインドサーフィンが好き。風が吹かない日は毎日テニス(プロ級)をプレーしてました。私はたくさん彼の写真を撮ってきましたが、上の1枚は彼と私が一番好きな写真の一つです。

アイボーが亡くなりました。

最愛のアイボーが他界しました。62歳という若さでした。
亡くなったのは昨年2023年の十二月八日です。 その後数ヶ月は”悲しみに苦しみました”。 彼が100万人に1人の割合でかかるという珍しい、そして膵臓がんと同じくらい進行の早い末期がん(肝臓がんの一種)と告知されたのが昨年一月。人生通してスポーツに明け暮れた健康そのものの彼が、治療不可能の癌になったなど周りは誰も信じられませんでした。その後できる限りのあらゆる治療を行いましたが、痛みに苦しみ続け、最期は自宅の私たちのベッドで母親と娘に見守られながら、私の腕の中で静かに息を引き取りました。他界数日前から自宅ホスピスのサービスを受けてましたが、亡くなってホスピスに電話すると「すぐに(遺体を)引き取りに行きますか?それとも少し時間を置いてから引き取りに行きますか?」と聞かれました。 私は「できることなら最後の最後は彼と2人だけの時間を過ごさせて欲しい。遺体は明日引き取りに来て下さい。」と頼みました。彼が他界したその夜、彼の両親は数週間前からうちのゲストルームに滞在しており、私は彼の母と、ドライシャンプーで頭と髪を洗い、彼の体を綺麗にして綺麗なシャツに着替えさせ、私は彼に一晩中ベッドで話しかけながら冷たくなった彼の横に添い寝して夜を明かしました。両親も癌で亡くしたけど、両親の場合とアイボーとでは悲しみの深さが全然違いました。心がちぎれるような苦しみとでもいうのか、、、。 お葬式には400人近く集まり、私は長いスピーチをしました。彼はいつもジョークで皆んなを笑わせる人だったので、可笑しなエピソードが沢山ありました。日本とは違って笑いや拍手、そして涙の溢れた温かなイベントで、彼が本当に沢山の人たちから愛されていたのだと心が温かくなりました。 三月には彼の両親と3人で家族の思い出深いマウイ島に行き、3人で手を繋ぎ海に入って泣きながら彼の灰を海に撒きました。 彼の他界後翌日から今まで、1週間のうちの4〜5日は彼の両親の家で暮らしています。この両親は私にピックルボールを紹介してくれた人たちで、なぜか親族一同誰もピックルボールに興味がないため、私と両親はいつも一緒にピックルをしています。

ちなみにアイボーが癌になったという告知ブログはこちら(←クリック)から見れます。

一年ぶりのブログ再開!

前回のブログはなんとちょうど1年前!!  昨年はアイボーの看病生活でブログどころではなく、今年は彼が他界して8ヶ月以上経った今まで、悲しみの波が毎日寄せて来てブログを書く元気がでませんんでした。また、昨年は彼のことが100%の優先順位だったので、今年は自分の体と健康に焦点を当てる時。5月には子宮がん予防のため子宮摘出手術をし、昨年肩を壊したので、現在フィジカルセラピーに通い、あちこち壊れている体の部分のメンテナンスを行なっています。
ピックルとテニスも再開しました。スポーツは本当にメンタルバランスを調整するのに役立ちますね。 特にピックルは、ここ数ヶ月色々な場所で色々な人たちとプレーし、沢山の新しい仲間もできました。みんな良い人たちです。 ただし男性プレーヤーの場合、他の仲間から私が相方を癌で亡くしたと聞いて、ピックルに絡めてよこしまなアプローチ(ナンパ?)をしてくる人が正直かなり多くてこれは少々困り物です。しかもこのうちのほとんどは既婚者だ!! この人たち、1〜3時間他の人たちと一緒にゲームした後「お寿司食べに行かない?」「今度ドライブに行こう」などと言って寄ってきます。 必ず「Are you single?(独身なの?)」と聞くわけですが、殆どが「あー、僕結婚してるよ」と。「私は(ピックルはするけど)今も喪中だし結婚してる人とはデートしない主義よ」と返しますが、彼らはシャーシャーとしてて全く(奥さんに対する?)悪気がなさそうな様子に驚きです。

不思議な独身生活の始まり

アイボーとは入籍してなかったので公には”パートナー”という関係でした。でも彼の32歳と29歳の子供たちや親族、特に彼の両親とは親しく両親は何処に行くにも私を連れて行ってくれます。両親は週日は山の上の家に住み、週末は大きな川に面したリゾートハウス的な”リバーハウス”に滞在しますが、その両方の家に私専用の部屋を与えてくれました。毎日公園に犬の散歩にゆく時も私は両親と一緒に行きます。毎晩夕食もアイボー母と一緒に作り、両親と3人で食後映画やドラマを一緒に観て寝ます。彼らとは何でも一緒に話し合います。不思議と自分の両親との関係よりも仲の良い関係です。私は亡くなった息子の肩代わり的存在になったかのよう。日本の両親を亡くした私は、アメリカに両親が出来て、これはアイボーからのプレゼントだと思って関係を大切にしています。そしてアイボーと住んでた家にそのまま引き続き住んでいます。1人で住むには大き過ぎる家なのだけど、彼との思い出に溢れたこの家が好きなので、しばらくはここに住みます。仕事はほとんどオンラインなので自分のスケジュールをフレキシブルに管理できます。でもいつもアイボー家族とのイベント優先ですが。 今はできる限り週4〜5日テニスかピックルボールに行きます。テニスのコーチとのセッションの後にピックルボールに行く事もしばしば。そして癌患者の看護者の立場だった時に参加した”癌サポートセンター”の看護者仲間20人ほどと特別な関係ができ、この人達とは、私が看護者の立場ではなくなった今も毎週Zoomミーティングで繋がっています。この人たちは全員パートナーが末期がん患者。彼等との心の絆は今後も長い間繋がってゆく事でしょう。

ピックルボール生活も再開

末期がん患者の看護人という立場でアイボーの看病生活に追われていた2023年。この1年間でアメリカと日本のピックルボール界はすごい勢いで進化を続けて来たと思います。Facebookで ”ピックルボールコミュニティー:全米在住日本人ピックルボール協会”の、一応東ベイエリア管轄の立場であったわけですが、このコミュニティーは日米両方でとてもアクティブに交流がされていて素晴らしいです。 私はほぼ丸々1年間ピックルから遠ざかっていたので皆さんの活発な活動をFBで拝見して嬉しく思っていました。 たまーにちょこっとだけピックルしたりしてたけど、もう周りの在米法人の皆さんはガンガン大会に出てメダル獲得。すごい! 1年間の遅れをとったけど、私も頑張ってプレーを続けます。でもやはりまだ競技をする予定はありませんが。スポーツ競技生活を14年送ってきて、もうこれ以上スポーツ競技するのは疲れ果てたので、健康維持と社交目的でラケットスポーツを始めた私です。でもピックルは本当にコミュニティー基盤のスポーツですね。私のiPhoneアドレス帳はピックル関連仲間ばかりになってます。競技なんか出始めたらもうアドレス帳はすごいことになるだろうな。みなさんどうやってPB仲間の連絡管理をしてるのかしら? ピックルボール関係者はアドレス帳の最初にキュウリのエモジをつけ、テニス仲間はテニスボールのエモジをつけてますが、”キュウリマークのジョン”で検索したら10人くらい出てくる。そして毎日色んなPB仲間から練習会とかのメッセージが。一部の仲間たちは、今も時々悲しくて落ち込んでしまう私を励まそうとピックルボール&ポットラックディナー(各自持ち寄った料理をみんなでシェアする)をオーガナイズしたりしてくれました。有り難くて嬉し涙が出ます。うちの周りのピックルコートのいくつかはコートの横にピクニックテーブルとかが設置されていて、そこでイベントやミニパーティーを開催したりできるのです。そして多くのコートはコート内に犬を連れて入ってもOKです。

ピックルボールは男女平等?

ここはアメリカ。男性も女性も基本的に”明快”な人が多く、言いたいことははっきり言って男性も女性もこだわり無くみんな一緒にプレーします。ただ、上級レベルになればやはり男性は基本的に女性よりパワーがあり強く打つので男性がコートの2/3部分を占領するケースが多いです。とはいえ、アマチュアレベルだとテニスよりもプレーレベルの男女差が少ないので、レクリエーショナル・プレーでは男性3人+女性1人とか女性2人+男性1人、または女性チーム対男性チームなどでレベルの差をほとんど感じずに楽しくプレーできます。昨日私は友人と、初めてコートで出会った人たちとプレーしました。私以外は全員男性で全員年下、全員4.0以上のハードヒッターたちです。私の友人は対戦チームで彼は身長188cmでテニス界では超強打を打つのでビースト(野獣?)というあだ名があります。友達だけど、ゲームでは遠慮も手加減も無くとんでもなく強力なスマッシュを連打。ジャンプして2.5メートルくらいの高さからダイナマイトみたいな恐ろしい球が飛んでくると、私は自分の顔や体をボールから守るので精一杯でした。とにかくディンクに持ち込んで強打を打たせないよう必死で努力しました。怖かった一方、友達だからとか女だから手加減してあげようと思わないでシンプルに勝つために頑張る姿勢が好きでした。相手が強打を打つなら私もそれに立ち打つ度胸とスキルを身につける努力をするまでです。ただし、私のアイボー両親(共に82歳)の様に高齢だったり足が悪い方だったりする場合は別。強打で勝とうとするのは浅ましいしマナーが悪いですね。ちなみに昨日はこの友達と6〜7ゲーム、さらに他の人たちと3〜4ゲーム、合計10ゲーム以上しました。夕方4時から9時まで5時間もコートにいました! 夜9時、私は疲れ果てて帰りましたが、友達の彼はまだ残っていて、コート施設閉店の10時まで、合計20ゲームしたそう!!  どんだけ体力あるんだか!
この会場はCraneway Pavillionといって今年の春にオープンしたばかりのピックルボール専用施設です。我が家からは高速で渋滞にハマるので大体45分くらいかかります。開放感のある作りになっていてPBコートは12面、他に卓球台数台やバー、レストランなども施設内にあり夜10時まで営業です。


これからブログもピックルも再活動してゆく予定です。
応援よろしくお願いいたします!

Aya

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    本当に大事なことは、自分自身と自分の愛する人たちの心とカラダの健康に気を配ること。どんな人でも”明日は何が起こるかわからない”のだから、今をキラキラと輝いて生きてゆきたい。